プルメリア日和

東京・目黒にある日本タイマッサージ協会、日本ルースィーダットン協会、癒しタイの情報の他、旅行記、現地からのタイ情報、スクール卒業生の感想や活動などをご紹介しています。

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タイ旅行記 2002.11. その6

11月 8日(金)

7時半に朝食。8時半ちょっと前にチェックアウトして、8時半にスクールに行く3人とそこでお別れ。先生と私はタクシーで国際線空港へ行き、そこで荷物を預けてから、国内線空港へと移動。10時50分の飛行機で、タイの南部の町ハジャイへと行った。そこからタクシーで海沿いの町ソンクラーを目指した。この町にあるワット・マチマワートと言うお寺に、ルーシーダットンの壁画があると聞いて、それを見るために、そして何故そこにその壁画があるのか、僧侶にお話を聞けたら…と思ってここまで来たのだ。このお寺に、ソンバット先生の親友である高校の先生が通訳をするために来て下さったのだ。ここで壁画をゆっくりと見て、僧侶の方にもお話を聞けて、お寺を後にした。

その後、ここのシンボルである人魚像を海岸まで見に行き、その先生が空港まで送ってくれた。フライトがちょっと遅れたが、大雨の中飛行機は無事バンコクへ。
バンコクに着いてから国際線空港に移動。チェックインした後、買い物したり食事をして、夜行便でバンコクを発った。今回は6日間で3カ所をまわった慌ただしい旅だったが、川辺さん、中村さん、増田さんたちと一緒にいる楽しさに救われ、短いながらもタイを満喫できた旅だった。そして、チェンマイ伝統病院の校長先生やワットポーの校長先生とも実りあるお話ができ、とても中身の濃い旅行となった。

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タイ旅行記 2002.11. その4

11月 6日(水)

今日は7時半に朝食。そして9時に、タイマッサージスクール(TMC)へとルーシーダットン(タイ式ストレッチング)を習いに行く。4日に、フットマッサージをして貰った所だ。
彼女たちは、タイマッサージをする前に毎朝、このルーシーダットンをやっているそうだ。全部で15の動作を、呼吸に合わせてゆっくりとやっていくのだ。ちょっと苦しい動作もありましたが、体が伸ばされて気持ちが良かった。この日は午後早い飛行機でバンコクへ行く予定だったので、11時半には終了。彼女たちが作ってくれた昼食は玄米と菜食が中心でとてもおいしく、ありがたく頂いて、最後に先生方と記念撮影をして、お別れをする。
13時10分過ぎに、ヴィシャーンに送ってもらってチェンマイ空港へ。今回、ひどい風邪をひいていた彼だけれど、少し体調も復活してきていた様だ。
また来るね…と言って彼と別れ、私たちは一路バンコクへ。
バンコクはチェンマイに比べてやっぱり暑かった。
ホテルにチェックインして、まずは増田さん達が明日から通う、ワット・ポーのタイマッサージスクール申し込みに行く事になった。先生と増田さんがトゥクトゥク(40バーツ)で、中村さんと川辺さんと私はタクシー(37バーツ)でスクールへ向かった。手続きを終え、明日から彼女たちを教えてくれる先生ともお会いでき、その後はワット・ポーを見学してから、バンコクの中心地方面・サイアムスクエアにタクシーで行った。あちらはタクシーに5人乗っても(ドライバー含め6人…っていうことです)問題なし。

最初に夕食。最近、バンコクに来た時には必ず1回は食べに来るタイスキ屋さんへ直行!タイスキ…といっても、実際はしゃぶしゃぶに近い。野菜やお肉、フィッシュボールなどをお湯に入れて、煮えたらたれに付けて食べるのだ。ピリ辛のたれが、やみつきになる。

食事の後は、BTS(タイのスカイトレイン)に乗って有名なタニヤ通りの近くへ行き
(タニヤ通りは、日本のビジネスマンが多く訪れるため、日本語の看板が多い)、「有馬温泉」というタイマッサージ屋で1時間タイマッサージを受ける。ここは名前からも解ると思うが、お客さんの90パーセントが日本人である。なかなか激しいタイマッサージだった。先生がやって貰った人はとても上手だったらしい。まぁ、当たり外れはあるかな…。

その後、スターバックスでちょっと休憩して、タクシーでホテルに帰った。
私の部屋で、ちょっと色々とお話ししてから解散。さて、シャワーでも浴びて…なんて
考えていたらノックの音。誰かと思ったら、増田さんが「先生、ちょっと来て…。」とただならぬ雰囲気。どうしたのかと思って、彼女の部屋に行ったら、部屋の鍵が見あたらないと言う。このホテルは、鍵を部屋の中の決められた場所に置く事によって、部屋の中の電気が使える状態になるシステムを取っている。彼女がお風呂にお湯をためようと、お風呂の栓をした瞬間、部屋中の電気が消えたのだそうだ。彼女は間違いなく、鍵を取り付けたらしいのだが、暗がりの中、手探りで探したら、鍵が無くなっていたと言うのだ。彼女は完全に怖がっていて、何とか原因を解明しなくては…と、ベランダ(この部屋には、小さなテラスが付いていて、出られる様になっていた)に出るための扉まで行った時、鏡台の前に鍵が置いてあるのを発見。しかも、彼女のウエストバックとベストと一緒に置いてある。私が思うに、一度鍵を取り付けて、部屋の中の電気を付けた後、無意識に外して、荷物と一緒に鍵を置いたのではないかと…。もう、大爆笑だったが、彼女は怖くて、結局その日はお風呂に入らず、翌日の朝シャワーを浴びたらしい。

11月 7日(木)

朝7時半に、ホテル内のレストランにて朝食。
8時半に、スクールに行く増田さん・中村さん・川辺さんを見送ってから、私たちはタクシーでワット・ポーへと行った。小1時間、先生はそこでワット・ポータイマッサージスクールの校長先生への質問をまとめ、その横で私は観光客の人間ウォッチング。まだ9時前だというのに、観光客が来る来る…。日本人から欧米人、中国系の人達やタイの人まで、色々である。殆どがツアーコンダクターと共に来て、そこでワット・ポーに関する説明を聞き、あるグループは涅槃仏(あの有名な…)を見ていき、またあるグループは見ないで次のお寺に移動して行った。でも、このお寺に来て、涅槃仏(リクライニングブッダ)を見ないで帰るのってどうよ…と思ってしまった。もったいなさ過ぎ。

それからスクールに行き、校長先生とお会いして、色々とお話を伺った。インタビューはおよそ1時間半くらい。校長先生にお礼を言ってお別れし、3人に会うために上に上がった。驚いた事に、エアコン完備の部屋に変わっていた。私たちの頃は、自然の風が気持ちよかったのに…。どこもかしこもエアコン完備になってしまうのって、ちょっと残念。
しかも、ここに3人の姿がない。受付で聞いたら、昔の事務所がスクールになったらしく、そちらで勉強しているとの事。すぐにそちらに行ってみた。彼女たちを捜して居るうちに、3階で勉強している植松さん(第2期卒業生)と会ってビックリ!!偶然彼も、こちらに勉強に来ていたのだった。彼女たちは2階で勉強していた。植松さんも、彼女たちが来た事で嬉しかったみたいだ。ターティアンの船着き場まで、みんなでお昼ご飯を食べに行った。楽しかった!

その後、一旦ホテルに戻り、荷物を置いてから、病院内でやっているタイマッサージを受けに行った。(要予約)タイマッサージと、薬草タップのセットでお願いして、薬草タップも受けてみた。蒸した薬草パックで体中をタップして貰うのだが、部屋内部の冷房が強くて、タップされた所がかえって冷えてしまい、あまり気持ちが様とは思えなかった。

ホテルに戻って6時に私の部屋にみんなが集合。彼女たちは今日だけでもう、うつ伏せまで進んだらしい。これはかなり早いペースだ。明日の午前中には最後までいって、あとの3日半はひたすら練習になるらしい。
それからリバーサイドのレストランまで行って夕食。5人で食べる最後の夕食だ。オープンテラスの席で、美味しく食事をして、その後カオサンロードまで行ってお買い物。
ここは、世界中のヒッピーが泊まりに来たりしている所で、お店も充実している。実は、泊まっているホテルから割と近いのだ。歩いて10分くらい…かな!?
帰りはプラプラと歩いてホテルまで戻った。

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タイ旅行記 2002.11. その3

11月 5日(火)

昨日と同じように、8時に朝食。9時半に、お友達のヴィシャーンがホテルまで迎えに来てくれて、ドィ・ステップに行く。「ドィ」とはタイ語で「山」という意味なのでドィ・ステップとは「ステップ山」と言うことだ。この山にある滝まで2台の車で向かう。私はヴィシャーンの車で向かった。目的の滝に着いて、これからが今日のメインイベント!滝行をするのだ!

先生はチェンマイに来るたびにこの滝を訪れ、滝に打たれたり、瞑想したりして過ごすのだ。私も何度かしたことがあるのだが、滝に打たれた後は、視界がクリアーになり、頭が軽く感じて生き返ったような気分になれる。今回は、久々の滝行になる。まずはみんなで体操をして、さらには手のひらで体中を叩いて気合いを入れる。最初、先生が見本を見せた後、私が挑戦。とにかく久々の滝行。タイと言えど乾期の時期は気温が低いため、水の温度もまた低い。更にここ数日の大雨のせいで、水量がまた半端ではなく、滝壺の周囲はいつも以上に風が強い。滝にあたった最初、呼吸が上手くできなくて、軽い過換気状態に陥る。息をうまく吐ききれないまま、吸う方が多くなってしまうのだ。自分では全くコントロール出来ない。一度滝から外れ、後ろを向いて呼吸法を行い、呼吸を整える。十分に吐ききることが出来る様になってから、もう一度滝にあたる。今度は上手く呼吸が出来た。最初冷たく感じる水も、徐々に温かく感じ、それとともにこの山の自然に溶け込んでいく様な錯覚を覚える。自分の存在が、この山の中で…この自然の中で受け入れられた気がする。どれくらいの時間あたっていただろう。終わったときには、生まれ変わったかのように視界が明るく、物の輪郭がはっきりしていて、清々しかった。

次に増田さん、川辺さん、そして中村さんが挑戦。3人ともに長くあたっていた。川辺さんは、私と同じく途中で呼吸が苦しくなったらしいが、呼吸を整え、再度挑戦していた。中村さんが滝にあたっていたとき、タイ警察の人達が何人か来ていて、その中の一番偉そうな人が、時計を指さしながら、私たちに何かを言っていたけれど、何を言っているのかは解らなかった。時間が長いと言っているのか、それとも何分くらいやっているのかと聞いているのか…。中村さんが終わった後、もう一度先生が滝にあたって、先生はここに残り、私たちは、山の中腹にあるワット・プラタート(ワットとは、お寺の意味)に観光に行く。

ワット・プラタートの駐車場周囲のレストランで昼食。滝にあたって寒かったので、ここでお昼を食べ、コーヒー飲んで生き返る。すっごく可愛いダルメシアンの子犬がいた。
昼食の後、ケーブルカーでお寺へ向かう。このお寺は、金で彩られた仏塔がある。今日のように天気が良く、太陽が出ている日には、仏塔がまぶしい。境内を、色々と説明しながら見て回り、バナナ入りワッフルを買い食いしたり、おみやげ物屋で買い物した。バナナ入りワッフルの他には、焼きバナナと焼き芋を買ったけど、焼きバナナは評判が今ひとつだった。味はまさにプルーン。ちょっと意外な味だった。焼き芋は美味しかった。

お寺を出て、急いでスクールに行く。昨日はお休みだったハーバル(薬草)サウナに入るためだ。3時にそこで先生と待ち合わせていたのだが、10分ほど遅れて到着。サウナではゆっくりと暖まる。スクールで布を借りて、それを身にまとって入るのだ。体が冷えていたので、この熱は心地よかった。時々水を浴びながら、ゆっくりと暖まる。30~40分くらい暖まった後、着替えて外に出て、飲み物を飲んでいるときに、スクール終了のオンナモが始まる。みんなと一緒にオンナモを唱える。増田さん・川辺さん・中村さんにとっては、初めての本場のオンナモ。そして、先生や私にとっては、久々の本場のオンナモだった。サウナの後、ヴィシャーンの知り合いのタイマッサージ屋へ行き、2時間のタイマッサージを受ける。気持ちよかった。ここのやり方は、学校とはまたちょっと違う、レックチャイヤのスタイルだったが、気持ちがいいことには変わりなかった。

この後、「ザ・ギャラリー」と言うレストランに行った。ここは、チェンマイを流れるピン川沿いにあるレストランで、かつてヒラリー夫人も訪れたというレストランだ。(ヒラリー夫人の写真も飾ってあるのだ)ここのココナッツアイスクリームがとにかく絶品なのだ!!それを楽しみに、美味しいタイ料理を堪能し、いよいよココナッツアイスクリームを注文したら、返事は「フィニッシュ」…。ショックだった…。

気を取り直して、ナイトバザールへ。
ここは、毎晩露天が出ているところで、お土産を買うにはもってこいの場所である。
毎晩ここで買い物をしていたのだが、今日もまた来てしまった。チェンマイ最後の夜だから、買い忘れた物などを買いに来たのだ。駐車場に車を止めて買い物。一通り買い物をして、先生が一旦買った物を車に置いてくる間、私たちはバーガーショップで休憩。ところが、先生が置いてくるはずの荷物を持って現れた。どうしたのかと思ったら、車が無いという。「え!?」っと耳を疑う私たち。とっさにみんな、盗まれた自分の荷物の中身を思い浮かべたり、気持ちが舞い上がる。その間に先生は、ツーリストポリスに行って説明。最終的に、止めた場所が探していたフロアーの更に1階下だった事が判明。車は無くなったわけではなかった。とにかくホッとした…。

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タイ旅行記 2002.11. その2

11月 4日(月)
朝8時にホテルのロビーで集合して、1階のカフェで朝食。その後、9時半にソンバット
先生と待ち合わせをして、昨日観たタイダンスの方々が通っていらっしゃるダンス教室の
見学…のはずが、昨夜の雨がだめ押しになったのか、ダンススクールが浸水してしまい、
練習自体が出来なくなってしまったために、見学もまた駄目になってしまった。
急遽、ソンバット先生が技術アドバイザーを務めるタイマッサージスクールが、チェンマ
イ大学アートミュージアム内に出来たとのこ
とだったので、そちらにお邪魔して、フット
マッサージをして頂きました。広々として、
綺麗な所でした。窓からは裏のバナナ畑がみ
えたりして、のどかな雰囲気が、とても良か
ったです。フットマッサージも、1時間の中
で、フット・腕・肩・首までやってもらえて、
気持ちが良かったです。ここでは、フットク
リームではなく、アロマオイルを使ってマッ
サージをやってくれました。お昼は、先生のお友達のジャンが教えてくれたヌードル屋さ
んで、クィッテオと言うお米から作られた麺を食べました。美味しかったですよ。お客さ
ん全部、タイ人でしたからね。本当に、地元の人しか知らないお店…って感じでした。
そのまま、ブンタトゥック伝統病院に行き、
先生は校長先生と今後の「日本タイマッサー
ジ協会」についてのお話をし、私を含めた4
人は、2時間のタイマッサージを受けました。
1人2時間で250バーツ。エアコンがちょ
っときつかったのですが、やっぱり町のタイ
マッサージ屋とは違って、悪い所を見つける
と、そこを良くほぐしてくれるんですよね。「こ
こが悪いよ。」って教えてくれるんです。そし
て、そこを丹念にマッサージしてくれるんです。
「あぁ、ここは慰安のためのマッサージではなくて、ちゃんと治療のためのマッサージを
してくれるんだなぁ。やっぱり、病院なんだなぁ。」と、改めて実感しました。マッサー
ジしてくれた人達は、本当にみんなフレンドリーで優しくて、暖かい気持ちの人ばかりで
した。それもまた、気持ちよさの一端を担っていました。
夕方の4時半に、ホテルのロビーまでソンバット先生が迎えに来て下さり、今度はエイズ
の子供達に会うために出かけました。彼らには、前回タイに行った折りにも会いに行き、
タイマッサージ協会の会員さん達が募金箱に寄付して下さったお金をお渡ししてきたので
す。その時に、責任者の方が「子供達は、例えばゲームボーイとか腕時計なんかを喜ぶん
ですよ。」と教えて下さったので、今回、協会員の方々が寄付して下さったお金で、そこ
の財団でみている子供達24人分の、子供用腕時計を買って(しかも、ベルトの色とか色
々工夫して、24種類全部色や形の違う時計を選んだのですよ!)、今回はそれを届けに
行ったのです。前回訪問したハウスは、ここのところの大雨で浸水し、みんなセカンドハ
ウスに居るとのことで、彼らが学校から戻る5時以降に着くように行きました。
ここには6人の男の子供達が居ました。みん
な人なつこく「サワッディ カッー」と元気
に手を合わせて挨拶をしてくれました。中に
はいると、早速子供達が、冷蔵庫で良く冷や
されたミネラルウォーターを持ってきてくれ
ました。(一所懸命人数を数えて、持ってきて
くれたんですよ)お家の中を見て回るときに
も、子供達は付いて回り、私たちに興味津々
といった感じでした。お家の中は清潔で、壁
にはボランティアの人達や、HIVに感染していながらも、発症せずに今も元気にしてい
る施設の卒業生達が描いたイラストが一面に描いてあります。「どらえもん」や「ミッキ
ーマウス」など、子供が喜ぶキャラクターなどが多かったですね。子供達が夢中になった
のは、前回と同じく、先生が持っていたデジ
タルビデオカメラ。液晶画面に自分たちが映
るのが面白いらしく、撮ってあげたくても、
画面にどんどん近付いて来てしまうので、撮
ることも出来ないくらい、彼らは夢中で見て
いました。あとは、カメラ(普通のカメラ)
にも興味を示し、ある子は、川辺さんが持っ
ていた、折り畳みの傘に興味を示していまし
た。みんな、本当に好奇心の強い子達で、可
愛かったですよ!
そしていよいよ、買っていった時計を全部広げて、好きな時計を選んで貰いました。
日本だと、赤は女の子の色、青は男の子の色…みたいなイメージが強いのですが、彼らは
全く気にせず、赤いベルトの時計を選ぶ子が多かったのに、ビックリしました。そして、
私たちにゼスチャーで「時計を僕の腕に付けて。」とみんながおねだりをしてくるのです。
なので、私たちはみんなの選んだ時計を袋からだし、一人一人腕に付けてあげました。
病気のせいなのか、彼らは痩せていて腕も細いために、ベルトの穴が足りなくて、グルグ
ル回ってしまう子も居て、所長さんに時計の穴を増やしてもらえるように先生から頼んで
貰いました。それでも嬉しそうに、ジーッと時計を眺めている彼らが、見ている私たちに
はとても愛おしく感じられました。時計のお礼に…なのか、一人の子が手品を見せてくれ
たり、私たちの膝に乗ってくる子が居たり、随分と仲良しになった頃、彼らの食事の時間
が近くなったので、私たちも帰途につきました。彼らは、自分たちで出来ることはやる、
と言う環境の元、手品をしてくれた年長の子が、炒め物を作ったりしていました。本当に、
彼らが幸せでありますように、その時間が、長く続いてくれますように、神に祈るような
想いで、子供達が見送ってくれる中、私たちは施設を出ました。

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タイ旅行記 2002.11.

今回のタイ行きは、タイマッサージの講習生で、第2期卒業の川辺留美さん、第3期卒業生の中村富美恵さん、同じく第3期卒業生の増田園水さんも一緒である。
彼女たちが、ちょうど私たちが行こうと思っていた時期と同じ時期に、バンコク・ワットポーの、タイマッサージスクールへ行こうとしていたので、「じゃあ一緒に…」と言うことになった次第である。

川辺さんとは、行きのスカイライナーで合流し、他の二人とは成田空港で無事に合流。
バンコクでトランジットして、タイ・北部の町チェンマイへと向かった。

チェンマイでは、先生の15年来の友人でタクシードライバーのヴィシャーンが迎えに来てくれていた。彼は、風邪をひいたらしく、革ジャンを着ていた。タイ…と言っても、北部の方の乾期は、さすがに朝晩冷え込むので、厚着をしている人も多いのだが、革ジャンにはさすがにビックリした。ホテルにチェックインした後、日本タイマッサージ協会の名誉会長であるソンバット先生とお会いして、お食事に行った。チェンマイでは、ここ数日、異常な雨量であちこちの道路や建物が冠水していた。車で走っていると、お堀と道路の境界が解らなくなってしまった所や、池のようになった道路など、大雨の爪痕がそこかしこに見られた。
レストランは、タイダンスを見ながら食事が出来るようになっていた。途中、川辺さんと中村さんも、他のお客さん達と一緒にダンスにかり出されたりして、楽しく食事の時間を過ごした。このレストランでダンスをしている人たちのダンススクールを見学しに、明日の午前中行く予定である。
そしてその後、チェンマイで有名なナイトバザールに寄ってからホテルへ戻った。この日の夜は、0時近くからまた凄い勢いで雨が降り始めていた。

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タイ旅行記 2003.11. その9

11月22日(土)
朝7時にロビーで待ち合わせ、ホテル前の広場で、ルーシー・ダットンを行う。朝日を浴びながらルーシー・ダットンを行うととても気持ちがいい。欠伸が何回も出てきて、涙も溢れてくる。寝てる間に固まった筋肉が、伸ばされるたびに欠伸が出るのだ。欠伸が出ると、首の筋肉がゆるみ、眠気が覚め頭が冴えてくる。体操をしていると、外国人が近づいてきた。「あなたはここで教えているのか」と質問をされた。私は、明日東京に帰るのだが、「何を習いたいのか」と聞くと、「八卦掌や太極拳を習いたいのだ」と答えてくれた。チェンマイは、外国人の観光客が多いが、その中でも単に観光だけではなく、様々なカルチャーを学びに来ている人が多い。現に私もここでタイマッサージ、催眠カウンセリング法、タイ料理、リフレクソロジーなどを学んだのだ。特に東洋的なものに人気がある。朝食後、別行動をとることにする。私は、山に行き、いつもの滝に当たりたいと思った。車で滝への入り口に行くと、この先工事中で、車は入れないという。私には今日しか時間がないし。何とかならないかと交渉するが、無理らしい。粘って、どうしても車で入りたいことを告げると「歩いてならいっても良いという」。歩くには距離が遠く、上り坂の山道だ。再度粘ると、「途中までならバイクに乗せていってあげる」といわれた。これはありがたいと思い、工事をしているところまで乗せてもらいお礼をいう。そこから30分ほど歩いて滝に着いた。気合いを入れて、滝に当たる。いくらタイとはいえ最初の数分間はとても水が冷たく感じる。しかし、しばらくするとその寒さがなくなり、気持ちよさに変わる。その時からが大切な時間になる。呼吸をゆっくりとし、水の激しさを頭や肩で感じながら、同時に怖さも感じ、しかし精神ははっきりとしている。その瞬間がとてもいいのだ。その後、その上の見晴らしのいいところに登る。ここは、以前3日間山ごもりをしたところだ。2時までゆっくりと時間を過ごし、車のあるところまで歩いて下る。サンダルだったので、とても歩きづらかった。40分ほどで車にたどり着き、市内にもどる。そして、ホテルに戻り、ソンバット先生と待ち合わせをして、彼の別荘予定地に行く。車で途中舗装のない道を通り、30分ほどでその場所に着く。10数年前に、彼はその土地を購入したが、やっとそこに建物を建ててよい許可が出たそうである。既にマンゴやバナナなどの果物の苗木が植えてあった。その後、ロイクロマッサージスクールに行き、校長先生と会い彼女の経歴などを聞く。タサネー・ブーンサム校長先生は、1998年にレックチャイヤの所でマッサージを習い、その後伝統病院で勉強し、衛生省の300時間コースなどを学んだ後、2年前に開業をしたそうだ。ここの特徴は、生徒一人に先生が一人着き学べることだろう。しかしテクニックは伝統病院と全く同じである。私の新しいタイマッサージの本に、ここロイクロも学校案内の中にのせる予定である。インタビューがかなり長くなってしまったが、その間幸代と坂口純子さんは、ナイトバザールをまわっていたようだ。明日は朝早い便で、帰国だが、これで今回予定していたことを全てこなした。ハードなスケジュールだったが、とても充実した内容の旅だった。

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タイ旅行記 2003.11. その8

11月21日(金)
今日は少し遅めで待ち合わせをした。朝9時にロビーで待ち合わせたが、坂口さんが下りてこない。部屋に電話をすると「疲れて起きられない」といっていた。今日は、1日ゆっくりしていたらいいだろう。朝食を済ませ、約束の10時半に、チェンマイ大学内のタイマッサージスクール・オブ・チェンマイに着く。マネージャーのジャンが待っていてくれた。今回は校長のカンチャヌー・チャンタブリー先生に私たちの協会の薬草トリートメントアドバイザーになってもらう話で時間を割いてもらった。話は順調に進み、彼女は「光栄です」といい快く引き受けてくれた。そして、頼んでおいたマトゥーン茶を受け取った。なんと5キロ分購入しておいてくれて、この量だと新しいカバンを一つ買わなければならない大きさだ。ここで、500時間のタイマッサージプログラムを終えたジャパンセンターの江尻さんという方と会った。彼は来年、「東京の2カ所でタイマッサージの学校を開校する」といっていた。たった3ヶ月の講習を受けただけで、そんなに簡単に学校を開いてしまって大丈夫かどうか心配してしまった。その後、空港近くのデパートに行き、英語とタイ語が変換できる電子辞書を購入する。買ったまでは良かったが、その後レシートを発行してくれるまで、30分以上待たされた。やはりタイである。レジスターが壊れたのだそうだ。一旦ホテルに戻り、少し休む。その後予約をしていたレストラン「ギャラリー」へ行く。坂口さんも体調が回復し、食欲もありそうだ。ピン河のほとりにあるこのレストランは、名前の通り入り口にインテリアなどがギャラリーのように展示してあり、ヒラリー夫人が来たことでも有名である。ここのデザートのココナッツアイスクリームは絶品であるため、いつも一回は来てしまう。坂口さんも満足されたようだ。今晩もナイトバザールを見て歩く。マトゥーン茶を持って帰るためのカバンを探しまわる。丁度よい大きさのカバンを見つけて値段を聞くが、1500バーツだという。かなりの予算オーバーだがキャスターも付いていて持ち運びやすそうだったので、値段を交渉する。これがいつも結構楽しい。何回かの交渉後、600バーツで折り合いを付けようとするが、相手もなかなか了承しない。しかたなくあきらめて歩き出すと、その値段でもいいという。結局1500バーツの気に入ったカバンを600バーツでゲットした。その値切り方を横で見ていた坂口さんは、少し驚いていた。この日は、珍しくマッサージを受けないで帰る。

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タイ旅行記 2003.11. その7

11月20日(木)
朝7時にバンガローで朝食を取り、スコータイ空港へ。10時半にチェンマイ空港に着くが、友人のビシャンが迎えに来ていない。電話をすると今ナイトバザールにいるという。しかたなくタクシー2台でモントリーホテルに行く。しかし私の乗ったタクシーのバッテリーがあがってしまっていてエンジンがかからない。回りの仲間を集め何回か車を押した後、やっとエンジンがかかる。いきなり空港でエンジンのかからない車に出くわしたのは初めてだ。やはりここはタイなのだ。途中そのタクシーは進入禁止の所に入り、取り締まっていた警官に捕まってしまう。あわてたタクシーの運転手は、何回も頼み込み罰金を払わずに許してもらう。そんなこんなでホテルに着くと、先に着いた幸代と坂口さんがずっと待っていた。チェックインをし、いつもの部屋に着くとホッとする。ロビーに下りていくと、友人のビシャンが来ていた。空港に電話をし、乗客リストを調べてもらったが、乗っていなかったので空港に迎えに来なかったそうだ。しかし、調べた飛行機が間違っていたのだった。早速レンタカーを借りて、ドイステープに行く。天気がとても良くチェンマイが一望できた。帰りにチェンマイ伝統病院に行き、校長先生とお話をする。そして、そこのマッサージを受ける。久しぶりの病院のマッサージはうまかった。足底から始まり、ラインのTPからPPへ、腕の治療、顔、頭、お腹、とかなり忠実に順番を守っていた。ここでは特に症状はいわなかったが、場合によってはいわなくても悪いところをしっかりやってくれる先生方もいるようだ。4時に全員でオンナモを唱えた。夕方、5時半にソンバット先生と待ち合わせ、チェンマイ大学の近くの雰囲気の良いレストランに行き、帰りにチェンマイ大学の文化祭でクラビー・クラボーンを見せてもらう。クラビー・クラボーンはタイの伝統武術である。木刀のような棒2本対、水牛の皮で作った楯で攻防を繰り返すかなり高度な武術である。そこから一旦ホテルに戻り、ナイトバザールへ行った。知り合いの女の子に幸代が使わなくなった写真機能付き携帯電話をあげたらとても喜んでいた。ナイトバザールを一巡し、レッツリラックスでフットマッサージを45分受ける。ここの椅子は座り心地がとても良く、寝ただけで半覚半眠の状態となる。そのままホテルに帰り、すぐに寝る。

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タイ旅行記 2003.11. その6

11月19日(水)
朝5時半に起き、バンコクエアーウエイズで50分かけてスコータイへ。スコータイ空港には、ホテルの人が迎えに来てくれていた。市内までは車で30キロ。20分ほどでバンガローに着く。ここのバンガローは目の前に小さな池があり、そこにカワセミがいたのだ。じっと見ていると池に飛び込んで魚を捕っていた。生のカワセミを見たのは初めてだった。バンガローは「ロータス・ヴィレッジ」という。名前の通り。池には蓮の花が咲いていて、とてもきれいだった。準備をして、そのまま13キロ郊外のスコータイ遺跡へ行く。ここも世界遺産に指定されていて、非常に整備が行き届いた公園である。ここは、クメール王朝の衰退をきっかけにタイ族による初の統一王朝が成立した所である。とにかく日陰が少ないことで有名な公園で、炎天下での水分補給は欠かせない。10時頃から3時頃まで、遺跡を巡ったが、クメール様式とスコータイ様式の仏塔が混在し、歴史の移り変わりをよく感じることができる。一旦バンガローに帰り、4時半まで昼寝をする。暑さと良く歩いたせいで少し疲れたようだ。夕方、近くの露天市場をぶらぶらし、売っている果物や野菜を見て回る。そして、マッサージを受けようと思い、探しに行くが全く見つからない。タイに来てこんなにマッサージ屋さんを探したのは初めてだ。地元の人何人に聞いても、遺跡近くのオールドシティーに行かないとないという。40分ほど歩いただろうか、最後にトックトックの運転手に聞いたところ、友人でやっているところがあるので連れいってあげるという。半信半疑ながらトゥクトゥクに3人で揺られて10分ほど郊外に行くと、普通の家のような所に着いた。本当にここがそうなのかと不安ながら中に入ると、マッサージ用ベットが置いてあった。そしてしばらく待つと私と同じ年齢の女性がやってきた。ワットポーで勉強し、その他の所でも勉強して、仕事を始めて2年になるという。全然期待をしていなかったが、なかなかいいテクニックを持っている。タイ語で冗談を言いながらマッサージを受けていると、今まで受けたことのないテクニックがいくつも出てきた。これは覚えなくてはとしっかり脳裏に焼き付ける。こんなところで新しい技に出会うとは思ってもいなかった。2時間で160バーツを支払うと、頼んでおいたトゥクトゥクがやってきた。それに乗って、バンガローの人が進めてくれたレストランに行く。久しぶりにスパゲッティーを食べた。ガイドブックに書いてあったバンガローでのカエルの合唱はなかったが、その代わり虫の声が子守歌となり、ゆっくりと休めた。

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タイ旅行記 2003.11. その5

11月18日(火)
朝5時40分に起き、6時過ぎにホテルを出る予定だったが坂口さんが起きてこない。ドアーをノックすると中から返事があり「起きられなかった」と言っていた。疲れが出たのだろう。一足先にロイヤルホテルに行き、朝食後ワットポーの学校に7時半前に着く。学校はちゃんと開いていて、3階に上がっていくと40人ほどの先生方が既に集まっていた。こんなに多くの先生方が、真剣に勉強をされていている光景を見るのは初めてだった。年輩の先生方が若い先生方の体を実際に押し、その後交代し、押すポイントの正確な位置や細かい技術を教えているのである。こうやって次の世代に知識と経験は受け継がれて行くのだ。そう思うと、私も何かのお役に立ちたいと思った。そして、タイの伝統医学では全く抜けてしまっている、整体学の理論に基づいた施術を紹介してみようと思った。校長先生にその旨を伺うと快く承諾してくれた。まずは体の歪みの見方を紹介した。最初は右腰が痛いと訴える女の先生を見たが、頸椎の7番と腰椎の3、4、5番に歪みがあった。その次に若い男の先生を見たが、胸椎が少しとやはり腰椎が歪んでいた。うつ伏せになってもらい脚長差を見ると、右足が1センチほど左足に比べて短くなっていた。そこで良い方の左腰をまず肘でゆっくりと押し、その後大臀筋部分をほぐし、仙骨と仙腸関節を調節する。そして、反対側も同様に行い、最後に脚長差をもう一度確認すると両足の長さがそろっていた。それを見た先生方はみんなで拍手をしてくれた。そのあと何人かの先生方はわざわざ私の所まで来てくれてワイ(合掌)をしてくれた。私もワイをして、何かのお役に立てたかなと思った。このことは私にとってとても良い経験となった。その後、タイマッサージを治療に応用している、民間のアーユルヴェーダクリニックを訪ねた。

アーユルヴェーダクリニックでの体験
そこは、BSTのアリー駅の近くだった。一見普通の敷地内に広い駐車場があり、その奥の建物がクリニックであった。まず受付で名前と住所、年齢などを書き込み、待合室で待っていると部屋から名前を呼ばれ、そこで詳しい症状を聞かれた。今どこがつらいのか、その症状はいつ頃から続いているのか、両親は同じような症状を持っているか、薬は飲んでいるか、アレルギーはあるか、過去に病気はあるか、腰はどうか、内臓に問題はないか、などの質問を聞かれその後に、体の歪みと主訴以外の所の状態もチェックされる。肩の凝り具合や背骨の歪み具合も触診された。そして、それらの事を施術の担当の先生が細かくカルテに書き込んでいく。ここは、質問をして体のチェックをする先生と施術を担当する先生が別になっていて、質問をする先生の指示に従って施術のプランが組み立てられる。その後、血圧測定、脈診をされて、一旦待合室で待たされる。しばらくすると施術担当の先生がこちらに来なさいと手招きをして、施術室に連れて行かれる。そこは30畳ほどの広い部屋で、マッサージ用のベットが10数台、座位での施術用の広めのベットが2台ほどあった。既に何人かの患者さんが治療を受けていた。今回も自分の症状を正直に説明し、施術を受ける前にもう一度確認をしておいた。肩から首にかけて凝り感があり、軽い頭痛のような症状と、今年の2月に患った右の顔面神経麻痺の症状を訴えた。今回もまた座位で右肩の指圧からはじまった。両母指で肩の高いラインをゆっくりと圧していく。一回の圧す時間は20秒から長いときは30秒かかった。場所を少しずつ変えて、右側を重点的に指圧された。その後左側も少し圧してくれて、それから首の施術に入った。首の後は右手を挙げながら鎖骨上の神経の出ているところを圧された。右肩だけで20分ほど施術されたろうか。顔への指圧はほんの数カ所で終わった。その後、普通のベットの所に移り、横向きでの脊柱起立筋への指圧がはじまった。しかし、それもすぐに終わって、別室に移り、ハーブ玉の治療がはじまった。私はその時Tシャツを着ていたのだが、肩へのハーブ玉を押しつけるときは、Tシャツの上から圧された。Tシャツを脱げばよかったのかもしれないが、薬草の成分を皮膚から吸収させたいのなら、どう考えても直接皮膚の上から当てた方が効果があると思う。そこの意味がわからなかったが、それ以外は、患部をしっかりと施術してくれた。タイに来てこんなしっかりとした問診と施術を受けたのははじめてであった。ここタイで「アーユルヴェーダ」という言葉は、インド医学のアーユルヴェーダを意味するのではなく、「ジュ・ゴッ」というツボを使った指圧療法を意味することがある。ごま油を使ったオイルマッサージを頭に描いていた人にとっては、びっくりするかもしれない。今回は一般的なタイマッサージはほとんど治療に組み込まれてなく、ほとんどがツボを使った指圧療法であった。いわゆるセラピーである。その指圧療法も日本のようにすぐに離すのではなく、かなりゆっくりとした時間をかけて圧していくのが特徴をいえるだろう。帰りの車の中では軽くなった肩を感じていた。ここは本当に悪い所を治すクリニックなのだ。

その後、車をチャーターし、アユタヤへ行く。今回頼んだ運転手は、ロイヤルホテルに常駐する顔なじみの人である。日本に来た経験もあり、サウジアラビアで働いていた経験もある。英語が堪能で年はとっているがしっかりとしている。ただ車がとにかく古い。たぶん1960年代の車だと思う。ひょとするともっと古いかも知れない。オーストラリア製だと言っていた。何しろ運転席と助手席のシートには肘掛けが付いているのである。その車でのドライブは少し不安だったが、彼に聞くと全く問題ないという。頼まれればその車でチェンマイでもプーケットでも行くという。チェンマイは朝4時に出ると午後1時に着くという。あまり考えたくないドライブである。アユタヤは数年前に行ったことがあるが、その時は道路が至る所で工事されていて3時間近くかかったが、今回は道路も整備されていて、快適なドライブであった。世界遺産に指定されたアユタヤでは、ワット・プラ・マハタート、ワット・プラ・スィー・サンペット、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンなどのお寺と山田長政が活躍した日本人村を訪ねた。アユタヤから一旦ホテルに戻り、伊勢丹向いのショッピングセンターで買い物をする。その後、日本人の藤垣さんが講師をつとめる、プッサバー・タイ式マッサージ専門学校を訪れた。ここは、足のセンへのマッサージを重点的に行う特徴があるところで、極端なストレッチは少ないところだ。そして、シーロム通りにあるシーロムビレッジで坂口さんと待ち合わせ、夕食をとる。坂口さんは、今日ワット・ポーでフットマッサージの全課程を終え、いただいた修了書をうれしそうに見せてくれた。次の日も早いので、ホテルに帰り、荷造りをして、就寝。

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タイ旅行記 2003.11. その4

11月17日(月)
朝、トゥクトゥーに乗り、いつものロイヤルホテルまで朝食を食べに行く。ここは160バーツでバラエティーに富んだバイキング方式である。昨日の食事とはえらく違う。みんな大満足だった。そこから、校長先生の息子さんに電話をし、校長先生へのインタビューの約束する。9時に着くと既に校長先生は待っていてくれた。今回質問することは山ほどあった。校長先生は快く、伝統医学の細かい点や疑問点について2時間ぐらいにわたって答えてくれた。校長先生は「私が細かいところを突っ込んで質問するので、自分もまた勉強しなくては」と笑っていた。そして、明日は朝7時半から先生方の実技練習会があるという。私が参加しても良いということだった。昼からは、バンコク北部郊外ノンタブリーにある、タイ衛生省に行く。衛生省の中には伝統医学研究所があり、タイマッサージを治療に応用している部門がある。伝統医学研究所に着き、受付で治療の順番を聞くととても混んでいて、今からだと3時間待ちだという。そんなには待てないというと、同じ管轄の施術所がすぐ近くにあるという。そこで施術を受けることを決め、外に出ると今まで気がつかなかったルーシーダットンの彫像を模した人工の築山があった。ワットポーにある築山を模したものだ。やはりワットポーは、タイ衛生省がまねるをするくらい重要な「タイ伝統医学の総本山なのだ」と実感する。

タイ衛生省タイ伝統医学研究所での体験
まず、受付で氏名と年齢を記入した後、血圧と体重を量る。その後症状についての質問を幾つかされ、別な場所で椅子に座り、足を消毒液で洗ってくれる。担当の先生についていくと、そこで施術がはじまった。今回私は持ち歩く荷物が重かったので、肩が痛かった。そして、軽い頭痛があり、今年の2月に起こった右側の顔面神経麻痺が少し残っていたので、その旨を告げるといきなりアグラをかいて座れといわれた。タイマッサージを受けた回数は数え切れない程多いが、必ず仰向けの姿勢からはじまるのが常であった。しかし今回はいきなり座った姿勢から、右肩を両母指で圧された。この時点で「嗚呼ここは通常のマッサージを受けるところではないんだな」と痛感した。肩の張っている所を5分くらい指圧をした後、今度は両手で揉むように肩をマッサージし始めた。左肩も同様に終えると、次に首のマッサージに移り、そして髪の毛の生え際の3つのポイントを母指で頭が上へ引き上げるように圧された。肩の痛みと頭痛の原因は、首と肩の凝りに原因があることをわかっての治療である。その後今度はうつ伏せになり、背骨の両側を母指で上下に何回も圧され、その後手のひらで脊柱起立筋をゆっくりと圧してくれた。これらの施術も僧帽筋をほぐし肩や首への間接的な治療効果をねらう順序である。それらの治療が終わった後、いつもの仰向けの状態でのマッサージがはじまったのである。ここまで結構長い時間がかかった。足の裏への母指の指圧から始まり、ふくらはぎや大腿部内側を手でほぐした後、タイマッサージ独特の足底でほぐす手技がはじまった。やはり何度もタイマッサージを受けていると、このパターンがはじまると何となく安心する。そして、大腿部、下腿部の筋肉を順番にほぐしていき、そして起こされ座らされた。そこからまた肩や首の施術がはじまった。足から始まり、背中や肩などをほぐし、最後に座ってからのマッサージが当たり前だと思っていたが順番が全く逆だった事になる。一通りの施術を終え、着替えてまた担当の先生について入り口に行く。そこで暖かいマトゥーン茶を出してもらい、それを飲み干して全てが終わる。結局顔に対しての施術は全くなかったが、肩首はかなり楽になった。タイマッサージは下半身が多く上半身が少ないと思っていたが、こういう治療をしてくれるところを探し、ちゃんと症状を述べれば、「通り一遍の施術ではなく、しっかりとした治療になるのだ」と納得した。そこでの治療費は1時間200バーツであった。

その後、ホテルに戻ると部屋のドアーが全開していた。唖然とした。泥棒が入ったのかと中を見渡したが、何も盗られていないようだ。しかし、ベットの上には新しい枕カバーと交換した後の古い枕カバーが無造作においてあった。これは間違いなく「部屋を掃除してくれた人が、ドアーを閉め忘れたのだ」と思った。すぐにフロントに電話をすると、係の人と掃除担当の人が来た。彼らも実際に起こっていることが信じられない様子だった。二度とこのようなことがないように厳重に注意をしたが、いくらタイとはいえは少しあきれてしまった。坂口さんの帰りを待ち、名刺を受け取りにMKCへ行く。そこで初めてのタイ風バーベキュウ料理に挑戦した。ジンギスカン風の鍋に回りがスープのたまる溝があり、肉や魚は中央で焼き、野菜やうどんは回りで煮る新しいスタイルだ。しかし付けダレの味がいまいちでちょっとがっかりした。その日は、明日の朝が早いのと、坂口さんに少し疲れが出ていたので、早めにホテルの戻り就寝する。

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タイ旅行記 2003.11. その3

11月16日(日)
朝6時半に、ホテルで朝食をとる。目玉焼きに味のないソーセージが付き、トーストとコーヒーで200バーツ(600円)。これは値段が高くひどいと思い、明日からの朝食を辞退する。その後世界的に有名なオリエンタルホテルの脇を通り、10分ほど歩いて船着き場に着く。ボートでチャオプラヤ河を20分ほど上り、ワットポーへと向かう。学校の受付に着くと日本人女性4人がマッサージ受講の受付を待っていた。その内の一人が私に話しかけてきた。彼女は今年の「武術と健康法の祭典」に来てくれて、タイマッサージやルーシーダットンを体験してくれたそうだ。こんな遠くで、私を知ってくれている人に偶然出会うことに驚いた。幸代と今回一緒に行った坂口純子さん(旧姓岡本純子)に「もうバンコクでは悪いことはできないね」といわれる。まずは3階の教室に行き、先生方にご挨拶をする。そして、フシギ発見のテレビに映っていたことをお知らせする。前回来たときに、ここの先生方は、以前私が煩った顔面神経麻痺をみんな心配してくれて、無料で施術をしてくれた。皆さん暖かい心の持ち主である。驚いたことに授業始めに行う「オンナモ」が変わっていた。もともとワットポーでは、「オンナモ」はしていなかった。何年か前、私が「どうしてここではオンナモを唱えないのですか」と校長先生に聞いたところ、「ここでは新しい技術や理論を取り入れて教えているから」という答えだった。しかし、次に行ったときには「オンナモ」がしっかり授業の始まる前に唱えられていた。それも抑揚がなく味気のない「オンナモ」だった。そして、コマラパ先生の写真が南側壁面に飾られていて、その写真をバックにまず先生方が一列になり、その先生方に対して生徒たちが相対し、先生方の発声に続いて生徒たちが「オンナモ」を唱えていた。しかもとてもいい抑揚のある「オンナモ」であった。何か少しほっとした。特に「オンナモ」を唱えることにこだわりはないが、ワットポーでの「オンナモ」がただの棒読みの「オンナモ」であってほしくなかったからだ。その後少し瞑想をしてから授業が始まった。坂口さんをフットマッサージの授業が行われる別の建物に連れて行き、私たちはワットポーの写真を撮りにお寺に行く。そこで始めて、タイの占星術をしてもらう。ワットポーはご存じのように、タイで最初に大学ができた所で、以前は占星術も教えられていたからだ。占いコーナーは、中国の流れをくむ手相占いとインドの流れをくむ生年月日占いがあり、今回は生年月日占いをしてもらった。生まれた日時、時間を聞かれたが、生まれた時間を知らない私はそこから携帯で東京の母に電話をして、生まれた大体の時間を聞いた。占いによると、41歳から51歳までは浮き沈みが激しい時期で、52歳以降徐々に安定するということだった。私は、占いは全く信じない性格だが、良いことをいわれるとうれしいものである。その後、仏教徒の多いタイでは珍しい、インドラ神(バラモン教の神)の為にラーマ1世が建立したワット・スタットに行った。その寺院の裏庭でコマラパ先生の彫像があったことに驚いた。この寺院の正面入り口前には、大ブランコがあり、以前はこのブランコに乗ってブラフマー神とシヴァ神の逸話に基づくバラモン教の儀式が行われていたが、死者が多く出て今は中止されたという。昼に坂口さんを迎えに行き、船着き場付近で昼食をとる。昼食後、坂口さんはスクールに戻り、私と幸代はパフラット市場にあるインド人街に行く。すごい、ここはミニチュア・インドだ。女性はみんなサリーを着ていて、男性は髭を伸ばしている。通りの両側は、ヒンドゥー教の神々のポスターで溢れ、インドの音楽が聞こえ、インドのお香の香りが漂う。その後、ラーマ1世とラーマ3世像が建てられている公園を訪れ、一旦ホテルに戻る。夕方、坂口さんと待ち合わせ、MKCに行き協会スタッフ用の名刺を作りに行く。昨日手直しした協会のエンブレムがやっとここで使われた。デザインをそこで考え11人分を注文する。坂口さんは、自分でうれしそうに新しい名前の入った名刺を作っていた。その後、お客さんの90%が日本人の「有馬温泉」にマッサージを受けに行く。ここでの施術はもちろんタイマッサージだが日本人用にアレンジされていて、肩・首・背中へのマッサージの比率が多く、技術も当たりはずれが少ない。1時間半のマッサージを終え、皆でパッポン通りをぶらついた。相変わらずにぎやかである。そのまま帰って就寝。

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タイ旅行記 2003.11. その2

11月15日(土)
今回バンコクでの滞在は、ワットポーに近いいつものロイヤルホテルではなく、シーロム通りのシーロムプラザ(一泊1000バーツ:約3000円)にしてみた。道路事情が良くバンコク空港から30分ほどでホテルに到着。ホテルは現在改装中で、宿泊客は私たち以外に数組のようだった。受付に確認するが、東京から小川トレーナーに送ってもらったはずの協会エンブレムマークのファクスが届いていない。聞いてみると、受付に置いてあったはずだが誰かが持ち去ってしまったという。なんというホテルなのかと思ったが、ここはタイと思い直し、事務局に電話し、再度ファックスを送ってもらう。まずはBTS(高架鉄道)に乗って、渋谷のように雑多なMKC(マーブンクロンセンター)へ行く。送られてきたファックスは機械が古く、エンブレムマークが途切れ途切れでプリントされていたため、修正用の定規とペンを買い、近くのアイスクリーム屋で幸代が得意のレタリングの技を使い修正する。そこからチップを絶対要求しないことで有名な「マーブルハウス」にタイマッサージを受けに行く。1時間半のマッサージは、冷房が効きすぎた部屋で足中心で、技術はうまいが、肩・首などに対する施術が少ない。施術が終わって、外に出で、その暖かさに冷えた体がほっとする。タイでは冷房が効きすぎている所が大変多い。その足で、近くにある「カントン」レストランにタイスキを食べに行く。バンコクに来たときは必ずここに来る。野菜が多く食べられて、辛さも自分で調節できて、とっもおいしいし、冷えた体が心から暖まった。そしてホテルに帰り、就寝。

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タイ旅行記 2003.11.

まず、11月11日(火)「世界フシギ発見」収録日体験記から
今年9月、テレビマンユニオンから、「タイでの健康法を特集したい」ということで取材があった。取材では、「病気になったとき、タイ人がタイマッサージを受けるパーセンテージの高さ」、「ワットポーの先生方が、日々解剖学や日本語、薬草医学、ルーシーダットンなどを勉強されていること」、「タイマッサージには通常の民間マッサージと、王宮マッサージが存在すること」、「そして、タイマッサージにはリラックス効果だけではなくしっかりとした治療効果があること」、「その背景には仏教の教えが存在し、呼吸法も大切であること」を述べておいた。収録はTBSで、まず2人のお笑い芸人が出てきて、拍手のしかた、解答者が出てきたときのかけ声のかけ方などをコミカルに説明してくれた後、午後7時45分からはじまった。そして、私たちがいつもテレビで見ている順番の通りに収録は進んでいった。まずワットポーの校長先生が出演され、伝統医学の歴史などを説明された。寺院でのルーシーダットンが私たちが教わったサマット先生によって紹介され、その後王宮マッサージの紹介、呼吸法の紹介、タイ衛生省の紹介へと進んでいった。それ以外にもタイ北部で見られる不思議な発光体や水中ヨーガをされる尼さんなども紹介された。9時半に一回目の収録は終わった。知っている先生方が多く出演していてとても楽しかった。来年1月10日放送のこの番組は見逃せません。ここで知り合ったタイ航空のひとから、今年の10月からチェンマイ・成田間に直行便ができたことを知らされた。これでチェンマイからの帰りがとても便利になる。

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カンボジア・タイ日記 その9

○3月28日(チェンマイ)
今回やる予定だったことを全て終え、やっと自分の自由な時間になった。車でいつもの滝に行くが、途中道路の工事をしていて、歩いて行くしかないという。行くのをやめてしまおうかと思ったが、せっかくここまで来たのだから歩いていくことにする。汗だくになり、やっと、滝に着く。滝の前で、ルーシーダットンをやってから、滝に打たれる。何回打たれても滝行は気持ちがいい。以前良く感じていた恐怖感は、今は全く無い。その後、3日間山ごもりをした、いつもの場所に行き、鳥のさえずりを聴きながら、今回の旅行を振り返る。少し、ハードなスケジュールだったが、充実していた。そして、今回も私は出会う人たちや、回りの人たちに大変恵まれているのだなーと思う。
            ありがたいことだ。感謝、感謝。

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カンボジア・タイ日記 その8

○3月27日(チェンマイ)
7時に起き、9時にソンバット氏の息子のトリンが迎えに来てくれてた。子供の頃、カナダにいたせいか英語がとてもうまい。エイズのサポートセンターに行き、日本タイマッサージ協会からの寄付金8万円を渡し、子供達と楽しく遊ぶ。ここの子達は、長くても4,5年しか生きられないのだ。しかし、せめて彼らの残りの人生を楽しんでもらおうとここの人たちは、子供達を学校にいかせたり、動物園に行ったりとできる限り援助をしている。そこの子供達は人なつこく、明るくてとってもかわいい。その後チェンマイ大学に行き、タイ伝統医学の本の翻訳を日本人講師に頼む。午後、レック・チャイヤ、マッサージスクールに行き、レックチャイヤ本人に本を渡す。夜は、ナイトバザールで買い物して、1時過ぎに寝る。

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カンボジア・タイ日記

○3月26日(チェンマイ)
朝6時半に朝食をとり、7時半にワットポーに行く。校長先生がいて、他の先生方は解剖学の授業を受けていた。8時半に全員でルーシーダットンを行う。こんなにワットポーの先生方が集まっているのを見たのは初めてだ。校長先生にお礼をいって、急いでホテルに戻り、チェックアウトをして空港へ行く。行きのタクシーはかなり古く、30年以上は使っている車だと思う。昼過ぎにチェンマイに着き、ソンバット氏に連絡をして、7時に待ち合わせる。友人のビシャンにも連絡して、マッサージスクールまで行ってもらい、チェンマイタイマッサージスクールの校長先生やワサン先生に本を渡す。とても喜んでくれた。夕方、パドマスパに行き1200バーツ(3600円)で90分オイルマッサージを体験してみるが、うつ伏せでの時間が長くてつらく、マッサージもいまいちだった。夜ソンバット氏と食事をして本を渡す。ソンバットしも本を喜んでくれた。そこでタイ伝統ダンスを見て、ダンスの先生にタイの舞踊で行うストレッチを教わる。

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カンボジア・タイ日記 その7

○3月25日(バンコク)
朝7時半に朝食をとり、部屋に戻ると、校長先生の息子、セラット君から電話があり、一時前に学校で待ち合わせる。朝9時にワットポーの読経を聞きに行く。ここで読経を聞いていると、妙に落ち着く。ワットポー内のビデオを何カ所か撮って、学校にいく。セラット君と校長先生に今回の本を渡し、午後4時にタイ伝統的ストレッチ(ルーシーダットン)をやる手はずを整える。そして、校長先生にルーシー・ダットンの線画のオリジナルはどこかと聞いたら、国立図書館にあると言うので、タクシーで急いで行き、本を探しコピーしてもらう。そのコピーの速さに、非常に驚いた。3時半過ぎに学校に戻り、全員でルーシーダットンを行う。一旦帰り、ワットアルンの夕日を見に行く。伸ちゃんは、今日は休んでいるという。夜10時前にやっと夕食にありつける。休んでいた伸ちゃんにチャーハンをおみやげに持って帰る。しかし、校長先生が自らルーシーダットンのコピーを訳してくれるといわわれたことには大変驚いた。明日は、また朝ルーシーダットンをして、チェンマイだ。

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カンボジア・タイ日記 その6

○3月24日(バンコク)
朝7時に朝食を取り、ワットポーマッサージスクールへ8時半に着く。マッサージのサマット先生とフットマッサージのタナット先生がいた。今日は、もう一度ガイドを頼み、ワットポーの詳しい話を聞きながら寺院内をまわる。午後は、シャワーを浴びて少し休む。6時に、サイアムスクエアーへ行き、伸ちゃんの歓迎でタイスキを食べる。食後のハーゲンダッツのアイスクリームはとても濃かった。今日夕方、呼吸法をやっていて、吐く息と共に、声を出すことの大切さに気が付いた。久しぶりにゆっくりできた。

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カンボジア・タイ日記 その5

○3月23日(バンコク)
朝6時半に起き、朝食を済ませ、7時半にチェックアウトを頼むが、隆ちゃんのクレジットカードを機械が読みとれず、現金を立て替えてあげる。バンコクに着き、いつものロイヤルホテルにチェクインし、ワットアルン(暁の寺院)へ行く。バーミー(麺)を食べて、ワットポースクールでマッサージを受ける。5時にホテルにもどると、片山秀紀君がちょうどチェックインしているところだったので、後ろから驚かしてしまった。チャオプラヤ対岸のスパットラーレストランで、秀紀君歓迎と隆ちゃん送別の食事会をし、そのままスクンビットへ行く。一旦、ロイヤルホテルにもどり、隆ちゃんは明日早朝の帰国のため、空港近くのホテルに戻る。「明日は、日本だ」と残念がっていた。少し休憩し、11時50分にロビーに行くと、12時ちょうどに大高伸子さんが到着。元気そうでよかった。荷物の整理をして、1時半過ぎに寝る。明日は6時半起きだ。

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カンボジア・タイ日記 その4

○3月22日(シェムリアップ)
朝4時に目が覚め、5時半に迎えが来て、スラスランに行く。一番乗りで、いい場所を確保し、最高の朝日が見られた。「お兄さん1ドル」という物売りの子供が大勢いた。9時半に、横浜さんと一緒に、つい最近、旅行者に解放されたバースピアンに2時間かけて行く。45分山道を登り、水中のリンガを見て、聖なるお風呂で滝に打たれる。暑い時に滝は気持ちがいい。山から下りながら、次来る時は、隣のクーレン山に行こうと思う。帰りに遺跡中、最高の彫り物を誇るバンテアスレィを見る。ホテルに5時過ぎに着き、シャワーを浴びて、買い物に行き、食事をして、おみやげを買う。去年買った所では、店員が私のこと覚えていてくれた。ホテルで本場のカンボジア、トラディショナルマッサージを頼むが、せわしなく、くすぐったく、全くリラックスできずにがっかりした。明日バンコクへ出発する準備ををして、12時過ぎに寝る。

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カンボジア・タイ日記 その3

○3月21日(シェムリアップ)
朝4時半に起き、5時ちょうどに迎えが来て、アンコールワットに行く。ほとんどまだ誰も来ていず、撮影場所を確保し、6時過ぎにやっと太陽が出てくる。後ろを振り返ると100人以上の人たちが日の出を待っていた。隣のカナダ人は、前の人たちが立っているのでわざわざ注意をしに行った。「カナダの誇りにかけて」とその友人が叫んでいた。春分の日と秋分の日の年2回だけ、太陽は神殿の真後ろから出てくるのだ。一旦ホテルにもどり、ローレイ遺跡群を見に行く。食事をして、午後2時半に再びタソム、ニヤックボアン、ピミアナカスを見た後、空港へ行き、ヘリコプターで飛び立つ。空気がガスっていたが、14分間のフライトは素晴らしかった。その後バンテアイクデイを1時間回り、ガイドをしてくれた女の子に、1ドルを渡す。学校に行くお金はなさそうだ。そしてプレループで夕日を見た後、アプサラダンスを見に行った。帰りに花を買ってお寺をお参りをし、9時40分に帰る。明日は5時起きだ。しかし今回の運転手はとてもいい。意志が通じる。朝5時から夜7時過ぎまで付き合ってくれたので、運転手には40ドルを渡した。明日は、スラスランで朝日だ。

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カンボジア・タイ日記 その2

○3月20日(シェムリアップ)
8時起床、朝ホテルの前の川縁で、バイクタクシーの運転手が話しかけてきた。バイクは1日遺跡を回って6ドルだそうだ。朝食後、アンコールトムへ。途中ここカンボジアでは、外国人は運転できない事をガイドから聞く。当初のレンタカーを借りる予定を変更しなくてはならない。アンコールトムとタプロームを見るが、ガイドの説明はわかりづらく、愛想もないので、昼食時に、この先のガイドはいらないと断ることにする。夕方ヘリコプターの予約を明日4時半にする。その後ガイドの事務所に行き、そこで通称横浜さんという人の良さそうなガイドと巡り会い、明後日の予約をする。夕方、六本木に本店がある、チャイマッサージに行く。一時間20ドルで、タイマッサージを受ける。香りとリラックス音楽つきで、手技はまあまあであった。帰り道、オールドマーケットで食事をし、揚げ豆腐、冬瓜ジュース、BBQ、サラダ、スープはとてもおいしかった。明日は、朝5時に運転手に迎えに来てもらう。

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カンボジア・タイ日記

カンボジア・タイ日記 2002年
○3月19日(シェムリアップ)
朝5時半起き、上野から7時1分発スカイライナーで、成田へ。10時出発ANAで午後2時50分バンコク到着。フライトはUAとTGとANAの共同運行だ。空港で3時間待ち、バンコク航空で、40分後にシェムリアップに到着。予約していたガイドを見つけ市内へ行くが、ガイドと言葉が通じない。7時過ぎにホテルで食事をしていると、先発の佐藤隆子が帰って来た。そこで、明日からの予定をガイドと話し合うが、またもや意志が通じず、とりあえずの予定をたてる。「タイマッサージビデオ」のアフレコ用原稿を書き寝る。

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お待たせしました!タイ旅行記 その4!!

 微笑みの国からこんちはに ヒーリングタイのエースセラピスト(自称)まつもとでござる。
今回は、意味もなく侍風でお送りするのでござる

さてはて、最初の画像でござるが、“タイ旅行記その1”にてご紹介した、クッキング教室の買い出しで参上した市場なのじゃ
ぱっと見、野菜・果物しか置いてないようにみえるものの、その品揃えたるや現代風でいうところの、大手量販店よりちょい少なめなのでござる(微妙な・・・

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そんな市場での短い自由行動の中で、拙者と我らが協会長は、これから怒濤のクッキングタイムがやってくるというのに、手羽先的な立派な串焼き(下記参照)をほおばり、感無量
  
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 さて、今宵はもうひとつ旅の思い出を語らおうではないか
この下2つの景色は、あれでござる・・・・あれ・・・山の中なのでござるよ・・・
どこの山なのだろうか・・・山に向かう車中、熟睡をしておったので、ぶっちゃけ、どこに行ったのかわからないのでござるが、登山(トレッキングともいう)をした時にのぼった山でござる。
この山の頂上に、なんと村がござって、村民はそこで普通に暮らしておるのじゃが、我々シティ派の人間には村までの道のりが長く険しくそびえたつのだよ・・・山がね


そして、橋がギリギリのバランスで渡されていたのが感慨深げでござったなぁ・・・(意味不明)
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とにもかくにも、侍キャラ・・・もう封印です。









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友人の披露宴に行って来ました~

昨日は友人の披露宴でした。
茅ヶ崎のMOKICHIというお店で、
ドレスコードはナント浴衣ですゆかた
一時期着付け教室に通っていた実績を生かし、ここぞとばかりに着物風に着付けてみましたローズ

そうそう、今まで全くお会いしていなかった奥様にはじめてお会いするのでかなり興味津々だったんですが、すごーーーく可愛らしい方で、
メロメロになってる友人にかなり微笑ましさを感じました。
この奥様、ディズニー好きの間ではとても有名な奥様で、
雑誌にも登場したことのある方だそうです。
ほぇ~。
そういえば、どことなくキャストさん風な気もしてきたような。。。
そんな奥様の意向もあってかディズニー色を全面に出した披露宴は
司会の方も美女と野獣でろうそく役をなさった俳優さんで、
歌にふるーつ☆Cultivation・笑(小)踊りにサタデーナイトフィーバー素敵な司会にと、マルチな才能のある方ですごかったです。
そして、もちろん友人は野獣ファッション。。。
アンバサダーホテルからわざわざお借りしてきたというレアなものらしいです。
確かに、普通の燕尾服とかではまず見ない色んな装飾が沢山ついてるなぁと思ってましたよ。

あと、久しぶりに会った知り合いの歌も聴かせて貰えました。
アメリカに行ったりして頑張っている彼女の歌は、
以前よりもとても素敵に聞こえました。

花火やスーパーボール掬いまで堪能させて頂いて、
色々とエンターテイメント盛りだくさんな上に二次会は友人がやってるバーへ。
まったりと、のんびりと、良かったねぇとポツポツ話して帰ってきました。

この日の友人達との結論。結婚式って出ると結婚したくなりますよね笑い。

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